⽯川製作所の技術が、我が国 陸・海・空自衛隊の防衛力に貢献しています。
昭和11年、政治・経済共に戦時色が増していく中、それまでの繊維機械産業から軍事産業への道を歩むことになった。
1936年(昭和11年) | 舞鶴海軍工廠との契約で防衛機器の生産開始 |
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1938年(昭和13年) | 株式会社石川製作所に社名変更 |
1939年(昭和14年) | 国の方針に従い全面的に軍事生産に転換。以後、終戦まで機雷、爆雷などを生産 |
1940年(昭和15年) | 海軍管理工場に指定![]() |
昭和28年ごろから順次兵器の国産化が進められるとの情報により、防衛機器部門への進出を決意、昭和29年防衛庁の前身である保安庁が設立されるや、その要請に応じ、温存していた技術者や工場の施設を活用する一方、防衛機器の研究開発を円滑に推進するため「東京研究所」を設立した。
石川製作所は企業の立場から日本の防衛に貢献してまいります。